大和路の石仏
1.石仏との出会い(線香臭いなぁ)
石仏というものに興味を持つようになったのは、遠く中学生の頃(ほんまに遠い)だった。正確に言うと中2の時。古寺、仏像(当然石仏も仏像だが)への興味をもちだしたのも同時期だ。
石仏とはその名のとおり石に彫られた仏像で、お堂の中に収納されているものもあるが、野外で風雪にさらされたものが多い。また今でこそお堂に収納されているものも、それまでは長年野外にあったものも多いだろう。そしてこれら「野ぼとけ」とも呼ばれる野外のものは風化が進み顔が判別できないものもあるが、それがいい。
どうして石仏に興味を持つようになったのか。実家は宗教に凝っていた訳でもなく自分でも良く分からない。当時体を壊していたことが引き金になった気もする。もしくは何百年にもわたってされてきた、名前も残っていない数多くの市井の人々による素朴な祈りがしみこんだ石仏のもつ何かが引っかかったのか。
この頃、新聞の広告に「石仏の大和路」という本が写真付きで載ったのだが、それからその広告の写真のことが忘れられなくなってしまった。でもそれは近くの本屋には置いてなかったので、なおさら欲しくなった。今ならネットで探すか、そうでなくとも本屋に取り寄せてもらえばいいのだがその時は思い付かなかった。それからは本屋に行く度に「石仏」という文字を探すようになった。しかし、「仏像」を対象にした本は割とあるのだが「石仏」と書いてある本は殆ど無かった。加えて、興味があったのは奈良大和路のものであったのも余計に本を見つけにくくしていた原因だったのかも知れない。そんな状況ではあったが、何冊かの本が見つかった。「大和路の石仏」「関西石仏ハイキング」である。それらの本は、石仏(仏像)の見方、種類とかいった章はあるものの、主に石仏の写真と石仏のある地域へのアクセス等が記載された旅行ガイドブックのようなものといっていい。そして特に専門的な知識を知りたいとは考えていなかった僕はそれで十分であった。そのうちに、そのあこがれの「石仏の大和路」も手に入れることができた。
昭和49年6月 第1刷
昭和48年9月 重刷
昭和45年10月 第2刷
それらを見て、僕はその辺りの風景や、石仏の周りの雰囲気なんかを想像していた。しかし、車が無いと中々行くことができない場所とかも結構あり、歯がゆかったのを覚えている。
それでも、そうこうしているうちに、石仏界(そんなんあるんかい)のなかではどの石仏が有名であるのかが徐々に分かってきた。
2.歩く、拝む
初めて自分の意思で大和路の古寺に行ったのも中学2年生の時。まず無難(?)なところで西の京の薬師寺。当時はまだ西塔、金堂は再建されてなかったが、それが良かった。再建というのは寺にとっては非常に大きな意義があるのだろうが、自分はあの真新しくなった薬師寺にはその後行ってない。
初石仏は山辺の道だった。これも中2かな。山辺の道には遠足で行ったことがあったし、交通手段としては電車等しか使えない中学生にとっては手軽に行ける場所だ。このときは長岳寺という古寺を中心に歩き回ったのを覚えている。山辺の道で有名な石仏は「金屋の石仏」だろう。石の板に浮き彫りされているもので小さなお堂の格子戸越しにしか見ることはできないが素人目にも美しい。
実は高校の美術の授業で版画があったのだが、僕は「金屋の石仏」を版画にした。これをみた祖母が喜んで、その版画を田舎の家の仏間に飾ってくれたことがあった。
その後、中学生のうちに「当尾」(奈良市の北部、京都府であるが文化圏は奈良)、「生駒谷」(生駒山の奈良県側)を歩いたように記憶している。
3.圧倒された石仏
石仏にランク付けをする意味なんて全く無いし、そんなことに興味も無い。野の道に佇み、遠目に見ればただの石にしか見えず目鼻も判別出来ない野ぼとけにこそ魅力があるのだけれど、やはり有名な石仏にはそれなりの尊厳と独特の雰囲気がある。
これまで見たうちで、自分が「これは」と感じたものをランダムに挙げてみる。
・「大野寺磨崖仏」 近鉄室生口大野駅に近い大野寺の本尊。寺からは川を挟んで拝むことになる。岸壁に彫られた優美な線刻の石仏で、石仏というものを意識するようになってから初めて見たもの。またこの前を流れる宇陀川をさかのぼったところにある室生寺も清楚で大好きな寺である。
・「十輪院石仏龕」 奈良の町の中にある小さな寺、十輪院の本堂にある。初めて訪れたとき「こんなところにこんな凄いものがあるのか」と感動し暫く見とれていたのを思い出す。
十輪院本堂
・「頭塔石仏」 ずとう、と読む。奈良市街の中心部から外れたところにある頭塔という土の塔がある。以前はなんの変哲もない丘のような場所だった。近年整備されてほんとうに土の塔のようになったようだ。そこに、奈良時代の石仏が何体か配置されている。僕は整備される前に行ったのだが、拝観というようなものもなく、道を挟んだ民家に鍵を借りて見学するようになっていた(今も?)。当時は木が生い茂ったほったらかしの史跡といったふうで、そこにある石仏も風雪にさらされていた。しかし、周りの情景に似合わず繊細で心休まる石仏が多数あった。

(当時の新聞によると、頭塔の整備は11年かかり1998年に終わった。石仏は全部で27基とされている。)
・「金屋の石仏」 山辺の道の最も南にある。小さいお堂に安置されていて格子越しにしか見れない。力強い石仏という印象を受けるが、同時に慈悲深い表情に心打たれる。
・「当尾笑い仏」 大和路で最も有名な石仏といってもいいかも知れない。鎌倉時代の作らしいが7〜800年経った現在も風化はそれほど進んでなく、今でも温和な表情をはっきり認めることができる。
・「当尾大門仏谷磨崖仏」 「笑い仏」と同じく当尾の里にある磨崖仏。近くまで行くことはなかなか出来ないので、谷を挟んで拝むことになる。6メートル程もある岩に彫られている。
入江泰吉の「古道と野ぼとけ」の表紙はこの石仏。
・「石位寺三尊石仏」 桜井近郊の丘陵地に石位寺がある。倉庫?と見間違うぐらいの小さな寺だが、中には白凰時代の石仏が安置されている。写実的ということでは無いのだが、今にも動きだしそうなほど生き生きした雰囲気がある。唇に仄かに紅が残っているのも魅力的。この石仏も「こんな寂れたところにこれほど素晴らしいものがあるとは」と感動したもののひとつ。
石位寺
4.まだ拝めてない憧れの石仏
まだまだあります。
・「芳山二尊石仏」 柳生街道の中ほどにある茶屋あたりから山に入り昼なお暗い山道を草を分け30分以上歩いてやっと着く。道しるべなんてほぼ無いに等しいので迷うこともあるらしい。でもその端整な姿は是非見てみたい。
・「春日山石窟仏」 平安時代に春日山の奥に彫られた。穴仏と呼ばれ、これも柳生街道から外れた山の中にある。平安時代の優美な姿が崩れた石の間に今も残る。
・「地獄谷石窟仏」 これも柳生街道。未だに平安時代の彩色の残る線刻の石仏。
・「王龍寺十一面観音磨崖仏」 生駒高山街道沿いにある王龍寺の本尊。本堂の壁面である巨岩に彫られた観音像。
・「滝寺廃寺跡磨崖仏」 矢田丘陵にある滝寺跡にある。傷みが激しいが、天平以前の作らしい。
5.なぜ奈良大和路なのか
奈良には直ぐ北に位置する京都には無い魅力があると思う。京都はショーウィンドゥの中に社寺があるように感じるのに対し、奈良は民家と同じレベルで社寺が存在しているような感じを受けるのがいい。例えば寺の庫裏で味噌が足らなくなったら、隣の民家に「ちょっとだけ味噌もらえまへんか」と頼み、民家の人も「どうぞどうぞ」、となるやりとりがよくある、みたいな感じが想像できる。
奈良は京都のように大きな寺がいくつもあるというところではない。でもそれらの大きくない寺のなかに優れた仏像があることも多い。奈良高畑に新薬師寺という好きな寺がある。創建当時は大寺だったのが今はこじんまりとした寺になっている。でも金堂(創建当時は食堂)は天平の面影をとどめ、質素な中にも優美な面影があり、何とも言えない風情がある。こういう場所は京都では中々見当たらないのではないか。その中の仏像も素晴らしく優れたものであるのにもかかわらず手が届くほどの位置に安置されている。
新薬師寺本堂、これも天平の甍である。
京都は嫌いと言ってるのではなく、寺や仏像も奈良のもののほうが自分の好みであるということだ。石仏も然りである。
石仏は観光地から離れた場所にある場合が多い。休日に行っても人が余り来ない道端や、徒歩でしか行けないところにあるものも多い。そして大和路の石仏は「こんなところに」という場所に優れたものがあったりする。これも魅力といっていいかも。
(例えはおかしいかも知れないが、京都がモータウンで奈良がスタックスであるとも言えるかな。)
6.大和古寺風物誌
自分の奈良好きをさらに後押ししたのは高校の時に読んだ、亀井勝一郎の「大和古寺風物誌」だった。文庫本で200ページ足らずということもあり手軽に読みきれた。何か良い意味で力の抜けた、それでいて深い愛情を以て大和路を観る筆者の静かな思いが印象的だった。
大和路の古寺の近くを歩いていると土塀の横から今にも天平時代の帰化人が現れそうで、もし本当に現れたとしても自分は驚くことはないだろう、という意味の一節は今でも頭をフラッシュバックする。と同時に大和路の特質を現すものであろう。読んでると心の安らぐ本だった。
大和路関係では、和辻哲郎の「古寺巡礼」という有名な本もあるが、特定の仏像、仏画に対する筆者の美術的な評論が中心になっている部分もあり、個人的には「大和古寺風物誌」のほうがとっつきやすかった。

和辻哲郎の「古寺巡礼」。文庫本カバーは西塔再建前の薬師寺東塔の写真で、入江泰吉によるもの。文中の挿画も全て入江泰吉の写真である。
(ちなみに亀井勝一郎の「大和古寺風物誌」新潮文庫版の口絵写真も入江泰吉によるもの)
亀井勝一郎(かめい かついちろう、1907年 - 1966年)文芸評論家。「大和古寺風物誌」は太平洋戦争中に書かれたものが中心になっており代表作のひとつ。
和辻 哲郎(わつじ てつろう、1889年 - 1960年)哲学者、倫理学者、文化史家、日本思想史家。「古寺巡礼」は大正時代に初版が刊行された。
7.入江泰吉
大和路を撮ったら右に出る者は居ないといっていいほど、大和路の写真といえばまずこの人かも。派手さが無く非常に落ち着いた写真で、色彩も絶妙だ。
高校の頃まで近鉄電車をよく利用していたので、駅や車中で写真付きの奈良の観光広告をよく見た。特に、新薬師寺の十二神将や東大寺・戒壇院の四天王像は印象に残っているのだが、それらの多くは入江泰吉によるものだったのかも知れない。その後入江泰吉の写真を見ても、初めて見たとは思えないのは、このためか。
仏像、建物、風景等それぞれの作品は、写真をもって自らを表現するというより、その瞬間のその視界を切り取らせていただいてる、大和路を撮らせていただいてる、というような思いが僕には感じられる。だからどの写真にも優しさが漂っている。
一般的に、大和路といえば石仏、というほどではない。しかし、石仏は現代の大和路においても何の違和感も無しに存在し続けている。そして石仏は入江泰吉にとっても奈良の原風景の一つだったのではないだろうか。

前出の「入江泰吉の大和路 古道と野ぼとけ」入江泰吉のこの写真集は見ているだけで癒される。
また、入江泰吉の作品が多く収納されている奈良市写真美術館が僕の大好きな新薬師寺の近くに建っているのもいい。

現代建築が天平の甍を創ればこうなるという見本。素晴らしい建物だ。黒川紀章の設計。
入江泰吉(いりえ たいきち、1905年 - 1992年)写真家。奈良をこよなく愛し、自宅は東大寺のすぐ横にあった(全く羨ましい限り)。
続く‥。
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